福舟峠から最上町

なにを言ってるかというと、大昔、最上のこっち方面某所の親父の実家通いに付き合っていたのである。それは絶対に徒歩であり「今日こそはタクシーにしないかな」って願望は盛夏の日照りの時も大雪の時もまったく叶えられることのない悲痛の叫びであった。 (地図あり)



 小学生のころ毎年1,2回、新庄乗換えで向町駅まで汽車で来て、そこから月楯、萱場経由で杉ノ入って集落まで親父の実家通いに付き合っていたのである。それは絶対に徒歩であり「今日こそはタクシーにしないかな」って願望は盛夏の日照りの時も大雪の時もまったく叶えられることのない悲痛の叫びであった。 (地図あり)