佐倉藩・柏倉陣屋跡
父正睦の失脚で家督を譲られた「堀田正倫」は、慶応4年(1868年)の「鳥羽伏見の戦い」後、朝廷から「徳川慶喜」討伐令が下ると、上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願した。しかし新政府から拒絶されただけでなく、京都に軟禁状態にされた。