佐倉藩・柏倉陣屋跡

  


堀田家が佐倉に戻った後、山形藩は松平家、秋元家、水野家と、戊辰戦争まで推移しますが、どの時代も、最上川の利権を持った堀田家が、勢力を持っていたようです。


天保(1830〜1843)の頃の村山地方です。12が堀田家の領地です。13の秋元家に匹敵する広さのようです。
水野家の時代になると、堀田家領と秋元家領の2つが飛地になって、水野5万、堀田4万、秋元4万6千石の割合になりましたとさ。
水野の殿様は20〜30年しか山形藩主をやっていませんでしたが、戊辰戦争の荒波に飲まれることになりました。