鳥海月山両所宮

  


天正年間(1573年-1591年)、当地の領主・最上義光は、従来の祠官を廃して真言宗成就院を別当と定め、社領を寄進した。
以降、最上氏の崇敬社となり、江戸時代には歴代山形藩主の鳥居氏・水野氏の崇敬を受けた。