山形市が見て欲しくない(としか思えない?)旧町名道標


2021/03/14(日)

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2021年になってから山形市の旧町名道標が気になりだして、ウォーキングを兼ねて撮影中です。おかげさまで!?残り10箇所くらいになりました。 その中でも、製作者の山形市が、市民に見て欲しくないんだなと思えるような、発見するまで時間がかかったもの三つをレポートします。まずは『歩町(ぶまち)』 徒歩とは
「江戸幕府や諸藩に所属する徒歩で戦う下級武士のことである。」wikiより
なのだそうですが、我らが最上家には徒歩衆などおらず、侍は全部、騎士(馬に乗って戦う武士)だったとでも言いたげに、木でその存在を隠しています。
今回は二回目の偵察で、前回は、まったく気づきませんでしたので、GoogleMap で確認もしてみましたが、確認できませんでしたので神社の奥まったとこにあるのかなと思っていましたが、入口に、あったのであります。 その西(線路側)にも『十一面観世音霊場』の石碑とお堂がありますが、Webに記述はないようです。 十日町の『塗師町』、これが「見て欲しくない」ものに列記されるのには『歩町』や、次の『新百姓町』のように立地点にあるのではなく、ずいぶん前の山形市作成のWebの中のPDF『旧町名標示柱設置場所』 Mapと場所が、違っているのが、その理由なのです。 「漆塗りを家業とするものが居住していた職人町」は、いいのですが、その地図を下に載せます。
山形市立第五小学校の南側の新しい道路まで歩いたら、なんと目立つ場所に建っていたのです。かなりの頻度で通過する場所だったのに、この時まで、まったくわからないで通過していました。 山形市作成の地図が、手書きのため、ある程度精度がなく、さらに、この区画整理の道路が存在していなかったために、さまよい歩くことになったのでありました。 『新百姓町』で、鳥居氏の町づくりで城北の百姓が移り住んだところのようですが、これはまたすばらしいブロック塀の囲みの中に隠されていました。 説明文も、このように斜めからしか読むことができません。山形市役所と、この土地の所有者の間に、なんらかの対話があって、このようになったのでしょうが、なかなか、おもしろい場所にあるなぁと思わされました。
まるで古墳の中の石棺に、新しいお百姓様が横たわったのを建たせたような感じであります。 これは、知らない人が探すのには苦労しそうです。興味深いのは、囲っている塀を建てた費用は、税金だったのか個人負担だったのか・・・