2000/10/15
『火怨』高橋克彦
2000/01
今日はスポレク祭で年寄サッカーをしてきました。年寄といっても45歳以上ということでいつもより5歳も若い敵味方の試合だったのでスピ−ド、技術とも50歳以上の試合に較べると格段すばらしかったです。特に米沢のNo9は抜群でした。新庄チームのお一人がアキレス腱を切り救急車で病院直行していました。さて帰ってからの読書。10/07あたりから読んでいるのが終了いたしました。
奈良時代から平安時代にかけて朝廷と20年間も戦い続けた蝦夷の長、阿弖流為(アテルイ)と征夷大将軍 坂上田村麻呂の大河歴史小説です。
アテルイは殺され坂上田村麻呂が奥州平定の大英雄とされる歴史しか知らない私でしたがやはり東北人、アテルイのほうに魅力を感じておりました。主人公が最後に死んでしまうという結末にたどり着く小説は最後が悲劇的になりがちになりますが最後までアテルイは朝廷から勝ったという物語になっています。
蝦夷というのは大和・奈良時代に陸奥の国、出羽の国に住んでいた人々のことで宗教的にアラハバキの神を信ずる人々を指すとしています。神話時代には出雲に住んでいた人々が東北に移り住んだとのことです。大和時代に蘇我一族から廃せられた物部一族がやはり東北に根を下ろし蝦夷の後ろ盾になっていました。奈良時代には朝廷の陸奥経営の拠点は名取の柵で多賀城が最北の城です。
胆沢の族長阿久斗の息子、阿弖流為が陸奥の国の蝦夷をまとめ坂上田村麻呂の前任の征東将軍たちと戦いつづけずっと朝廷の侵略を阻んでいました。すべての戦いは侵略に対する防衛であり、蝦夷から戦争をしかけたことは皆無であります。朝廷との対等な和平を望み和議ならいいが降伏かではいやだと戦いつづけます。
壮年になった阿弖流為の前に、自分たちを理解してくれる坂上田村麻呂が出現します。
さてそこからどうなるか・・・・・・
作者も盛岡出身ということで蝦夷に対する思い入れはかなりのものであります。
岩手県、宮城県の現在の地名はその当時からのものだと思うと感慨深いものがあります。
小説の終了から約二百年後に前九年の役がおこり再度朝廷対蝦夷の戦いが始まります。
奥州平泉の滅亡の後は蝦夷という民族の概念はどうなって現在に至っているかがいまいち不明です。山寺のお師匠さんに清原さんという方がいらっしゃいますが後三年の役の清原氏の子孫なのですかね?
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