2001/06/10

消えた密書金井貴一 廣済堂 \2000  2001/06

以下のドキュメントVTRがあるらしい。


日本国憲法を生んだ密室の9日間

日本国憲法の草案は、連合軍総指令部(GHQ)民政局の手で、昭和21年2月4日から12日までの、僅か9日間で作成された。
実際に草案を執筆したのは、民政局次長チャールズ・L・ケーディス大佐以下25人。2月4日、民政局長ホイットニー准少から、マッカーサー・ノートと呼ばれる三原則を渡され、ほぼ一週間で草案を書くよう命令される。
 メンバーは、総括をする運営委員会の下に、立法権、行政権、人権、司法権、地方行政、財政、天皇、条約、授権規定の7 つの委員会に分かれ、直ちに作業に入った。
勿論日本人立ち入り禁止。
資料を借りに走るのも、その日からタイプに向かうのも、さながら突然の試験を数日先に言い渡された学生のような雰囲気であった。
この作品は、25人の内健在の6人の当事者と3人の関係者・学者にインタビュー、米国立公文書館、メリーランド大学などの文書資料や映像資料を豊富に交えて、当時を彷彿できるよう映像化した。
なぜ、GHQが日本国憲法の草案を、手掛けなければならなかったのか?天皇をシンボルとした発想はどこからきたのか?第9条はどうしてうまれたのか?男女同権は誰が書いたか?
この作品は、そのすべてに答えている。

まさに この謎に迫る昭和史ミステリー。歴史の好きな方必見。
憲法は近衛文麿さんがまず作成したがどういった経緯で採用されなかったか。日本政府案はどうしてダメだったか。トルーマンとマッカーサーの確執が日本に与えたものはなんだったのか? 

 

 
 


 
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