大正の初期から、現在に至るまでのカメラ、四百八十二台が陳列され、私設カメラ博物館として、訪れるカメラ愛好家の話題になっている。
この人は、日報連山形県本部理事長の山田重男さん(七二)、三十余年閉山形県警鑑識課に勤め、現在は筆跡鑑定者として活躍してます。
山田さんは、小学高学年のころ東郷カメラ≠一台買ってもらい写し始めたのが、カメラとの緑のはじまり。
それ以来カメラに取りつかれ六十年間たってしまったという。二十代から三十代にかけて、休みが待ち切れないほど、夢中で写し回り、数多いコンテストに応募し、たくさんの賞を獲得したが、四十代になって、なにかをしなければと、自分の棚に五、六台のカメラが並べてあったのを見て、なかなか美しく見える、心に和みを感じる 『これからの趣味はカメラ収集』と決めたのだそうです。
山田さんは、休みの日ごとに、中古カメラ屋、質屋、あらゆる古物商など歩き回り、安くて珍しいカメラを買い集めたのと、収集を知って、こんなカメラがありますから送りますといただいたものなどいつの間にか五百台ちかくになってしまい、置き場所に困っていると嬉しい悲鳴を上げています。
約五百台のカメラの中には、古くて珍しいコダックNO1、NO2、フランス製のプライベートという万年筆大のカメラ、また日本のものでは大正初期のパーレットカメラなど珍しいものがずらっと並んでいます。
こんなにたくさんあるなら一台欲しいという人もいますが、娘を嫁に出すような思いであげることが出来ないと語る。
こんなに集めて将来どうするんですかの問いに、その時になったら考えますといいながら、手入れをする。
手入れも、全部念入りにやると一ヶ月は掛るそうです。
山田さんはカメラばかりではありません。
県警鑑識課時代の定年まぎわに、福島、静岡、山形三県にわたるピストル銀行強盗事件を、宿帳の筆跡鑑定から犯人を検挙、事件を解決させた。『山形県警の山田』として有名な人です。
いまも、全国の裁判所、その他から、筆跡鑑定の仕事の注文が殺到しているそうです。
(本部理事・大山正巳)
報道写真5 平成6年5月5日 毎日新聞社 日本報道写真機関誌 通巻507号 より
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