慶應四年(1868) 天童藩 庄内藩 を中心にした年表の一部
3月 20日 奥羽鎮撫総督・九条道孝、仙台に入る
3月 29日 庄内藩が、寒河江と柴橋の代官所から米を奪う
4月 10日 会津と庄内の軍事同盟成立
4月 14日 鎮撫副総督・沢為量ら、庄内征討のため出羽へ向かう
4月 24日 薩長兵が、庄内領清川を攻撃(東北最初の戦火)
4月 29日 七ヶ宿の関宿で、仙台・会津・米沢の3藩代表が会津の謝罪嘆願について密談
閏4月4日 庄内藩の攻撃で、天童落城
閏4月11日 白石で奥羽列藩会議。14藩代表が出席
閏4月18日 三崎峠を秋田軍が攻撃、同士討ちが起き失敗(春の御陣)
閏4月20日 未明、福島で仙台藩士らが世良修蔵を斬首
会津藩兵・旧幕府脱走兵が、白河城占領
閏4月24日 会津藩兵が守備していた上越国境の三国峠を、上州諸藩の征討軍が突破
閏4月25日 白河城を征討軍が攻撃するが、敗退
閏4月27日 小出島の会津藩陣屋陥落。征討軍は小千谷も占領
柏崎の西、鯨波で桑名軍が征討軍を撃退
5月 1日 征討軍が白河城を奪取。会津・仙台などの同盟軍は戊辰戦争最多の700人が戦死
鎮撫副総督・沢為量、新庄を脱出し秋田へ向かう
5月 2日 小千谷の慈眼寺で長岡藩・河井継之助が、征討軍先鋒軍艦・岩村精一郎に談判。しかし決裂
5月 3日 征討軍が、榎峠を占領。長岡藩は開戦を決意
奥羽列藩同盟が成立。奥羽の25藩が加盟。後に越後の6藩が加わり、奥羽越列藩同盟に発展
5月 10日 長岡・会津などの同盟軍、榎峠・朝日山占領
5月 13日 征討軍が朝日山を攻撃、仮参謀の時山直八(長州)が戦死するなど失敗
5月 18日 奥羽鎮撫総督・九条道孝ら仙台を脱出、盛岡へ向かう
5月 19日 長岡落城。藩主牧野忠訓は会津へ落ち延びる
5月 26日 同盟軍の第一次白河奪還攻撃失敗
6月 16日 福島県浜通り制圧を目指す征討軍、平潟に上陸
6月 18日 天童藩中老・吉田大八が切腹
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