いまさら楢下


2022/06/04(土)

クリックすると大きい写真


山東サッカー部は別名『こんにゃくFC』とのことで、宮川中、楢下出身の選手が部長他一名おり、サッカー部での大派閥になっています 楢下出身以外の三年生に「楢下って行ったことある?」って質問してみましたが、グッチ、ゴッチャン、タリョウら、ほとんどが「ノー!」 三年生は、もはやあと一ヶ月くらいで、本格的受験モードに突入するので、ジャッカル部長主催の『楢下の茅葺ツアー』も、開かれないだろうし、楢下を知らずに受験、進学となって、何年かすると、その言葉も忘れ去られるかもしれない だからといって、どうってことはないのですが、 茅葺や明治の石橋などのコレクターを長年やっているカメラマンにとっては、どうにも、もったいない話になるわけであります
そんなこんなで、楢下街道を西に走ると、宮川小学校に統合される前の本庄小学校 この界隈の特産物は上山名物『干し柿』元小学校の付近には、秋になると干し柿が簾のように吊るされるらしい(カメラマンは未取材) サッカー部員二人も、小学校の途中まで、ここにいたと聞いています 2013年に宮川小学校に統合されたので、9年前には、やはり、ここにいたようです
こんにゃくFCジュニアチームのホームグランド? 楢下街道のキセキレイ が、羽ばたいた
そして、由来の場所に到着 30年前くらいに懐石料理をご馳走になりました。
浄休寺 浄土真宗大谷派のお寺のようです 寺境内に火の見櫓
クチを開けた『あっコマイヌさん』 クチを閉じた『うっコマイヌさん』
新橋
庄内屋さん 『楢下 庄内屋 庄内藩』で検索したら、やはり、庄内藩、酒井家が愛用していた宿だったようです したがって、庄内藩サポーターとしては、見るのにも力が入るのです。
庄内屋さんの中に入ってみました 手動式消防ポンプ
新橋  明治13(1880)年8月竣功 楢下の母なる川、金山川にかかっています 橋長14.7m 幅員4.4m アーチ高約4.4m 河床部での径12m 製作費用1,000円の内300円が県からの助成、のこり700円余は地元が立替た
この金を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として徴収した
覗橋(のぞきばし) 明治15(1882)年竣功  新橋の300mくらい北にあります 橋長10.8m 幅員3.5m アーチ高約3.83m 河床部での径8.44m 新橋と同じ大門石と言われる凝灰岩 費用は全額地区負担 誰かの自宅の前が車留め所になっていて、多分只なのではないかと思います
個人情報が思いっきり流出されています そして、誰かが毎日見ながら生活している茅葺は『大黒屋』 車で走ると、石橋の上の方の道路を通過するだけで、こっち方面を、見逃してしまいます。石橋の北側もウロウロしたほうがいいです。
楢下のイベントとして、大黒屋さんで、蕎麦をご馳走してくれるようです(たしか只ではなかったような) 茅葺の張替え事業をやっている会長さんも山形新聞に掲載されていて、Sさん(男性)でした こちら出身者の山東サッカー部OBで、楢下の家を全部茅葺にするというSDGsなど企画したりしたら・・・などもいいのでは・・・ この町並みが全部茅葺だったら・・・
その時は、赤煉瓦の煙突も欲しいところです(もちろん耐震強化建築で) 茅葺、明治の石橋、赤煉瓦の煙突の三点セットがそろえば、怖いもの無し
大黒屋方面からメインストリートに戻ると『旧武田家』
楢下で唯一、料金のかかるという『滝沢屋』さん
旧○野家ということだから、○野選手の親戚だった家かも 気を使って伏字にしましたが、書いてあるじゃん! ここの住人二選手は、当然お読みになったものと思われるので、興味ある人は聞いてやってください この集落図も個人情報垂れ流しの案内板
40〜50年前も多分見物に来てると思いますが、茅葺だったような記憶はあります。今からでも茅葺にしたほうが・・・ 一里塚とは、江戸幕府が、江戸日本橋を起点として東海道、東山道、北陸道をはじめ、主要街道の一里(約4km)ごとに街道の両側に塚を築き、旅人の里程の目安とした制度 滝沢屋さんの向かい側の、ちょっと南にあります
帰路の石屋さんに二宮金次郎 堅磐(かきわ)橋 川口の前川治水ダムに向かう国道13号線沿い 楢下からは離れていますが、二連の眼鏡橋で、現存するのは山形でこれだけ 橋長14.3m 幅員6.6m アーチ高約3.1m 河床部での径5.6m
川口の巨大なエネルギー回収施設が、数年前に建てられています ちょうど新幹線『つばさ』が南下 手前の遊園地に、大きい滑り台などがあって、いかにも建設反対派への行政の懐柔策がみえみえ これを見て、幼児を遊ばせるのは、あまりしないでしょうね・・・いや、意に反して盛況なのかも
前川ダム ダムが出来る前は『忠川池』だったそうです 多くの釣り人がいました あいかわらず、楢下は「山形にもこんな場所があったんだ・・・」と言わせるようなパラダイスでした