阿弥陀清水(アミダスズ)  
   
 
蕎麦黄門さまの後姿で取材・・・了

この場所は明治九年九月十一日、土坂村と合併して「土坂村」となる前は「草矢倉村」と言った。ここを通る旅人たちが、この清水にのどをうるほし人休みをした。付近にはマムシが多かったので、草でやぐらを作り、旅人の便をはかったところから「草やぐら」の名が生まれたと伝えている。

角川地名辞典から引用
草矢倉村(近世)
幕末期〜明治9年の村名草屋倉・草谷倉とも書いた村山地方,滝【りゆう】山北西麓,竜山川上流の山間部に位置する村山郡のうち山形藩領幕末期に土坂村から分村して成立村高は,寛永13年の領地目録(家世実紀)では「土坂・草屋倉共ニ」として258石余,「天保郷帳」では「土坂村枝郷草谷倉村」と見え161石余,天保13年の村山石高帳および「旧高旧領」でも変わらずなお「元禄郷帳」には「土坂村枝郷草谷倉村」と見える助郷は,三日町宿・松原宿に出役旧山形県を経て明治9年山形県に所属同年土坂村に合併