甑岳

2006/05/21

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通行止めとは聞いていたが「御所山」ひょっとして行けないかなと思いジャングルジャングル方面へ
甘くはなかった。進入禁止のデカい扉まで出来ており平成18年8月31日まで通行止めとなっていました。甑岳で会ったオジさんは「予算つかないんじゃない」などと言ってたのでその期日もアテにはできない模様。ということで「甑岳」方向転換。地図で東根からの道もあるのを発見し、日塔川林道を進めばなんとかなると判断。しかし、その林道にどうやって入るのかで苦労しました。ちょっとウロウロしましたが東根市内中ノ目というあたりから北に入っていって川沿いに行くとクレー射撃場があり、そこをドンドン進めばいいのでありました

日塔川林道をどんどん北上すると砂利道になり橋を渡りすぐ登山道入り口

帰りに飲んだのだがうまかった

登山口駐車場の案内板
キノコ小屋のほうに多くの車が停められていた

どうしても左が甑岳のように思えて見に行ったが近くに山はない
山道をグルグル走ると方位感覚が狂う

すいぶんやられたもんだ

「防火線」なんのこっちゃと思ったが案内板に土塁とあった
だけど火は絶対止まらない・・と思う

「防火線」の途中か終了場所から
まだまだ山頂は遠い

ここまで帰路の2人と出会っただけ

ツツジごしの山頂

ここで団体に追いついてしまった
変首長の足も捨てたものでない

中央の遠い山が「御所山」(「舟形山」)

団体さんは「甑岳に登ろうかい」のようである
1〜4班まで総勢30人くらいか

中央「黒伏山

雪で壊されたのを今回持ち帰って修理してくるようであった

中央下の沼は「湯沢沼」
湯沢部落の人から聞いた

右の一番大きいのが「大倉沼」

東沢公園の沼は山の陰になっている

葉山の左後ろに月山

防空壕の「若木山」はそれだけがポコッと出ていて古墳のようだ

蝶がいるのです


「横尾酒造」(今の六歌仙)のあたりが整備されて江戸時代っぽくなっていました
ここは本来、最上家時代に「里見景左」という殿様が整備したのだ。「里見」姓は上山、天童などいろんな場所に登場する。天童合戦で最上義光に敗戦し天童、東根の「里見」家本流は滅ぶのだが、その後を譲り受けた里見景左は最上家の家臣となり、その子孫は最上家の改易後も義光の四男義忠公を祖とする山野辺家の家臣として水戸で活躍し、あの有名な「天狗党」にもその名を残しているのである
参考(長谷堂城の下のほうの文)