山形市北部徘徊

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黄砂で山が霞んでいる「四月バカ」の午後、外に出ると暖かいではないか。たまに運動とまたしてもババチャリにまたがり鈴川→落合→青柳→七浦→長町→千歳→印役と徘徊。メインは七浦の千手堂と印役の印鑰神明宮か

通称三方塚ともいい、防火の神様として崇敬されている。 創建は定かではない。
祭神は日本武尊。
と案内に書いてある鈴川町三丁目の古峰神社 回りはものすごくカラフルで近代的な住宅が密集している
おじさんが回りの清掃をしていました 古峰神社から山寺街道に抜けたとこに 「法華経題目御宝塔」
ってのがあった
なお北上すると山形市市民農園があり
畑の整備がされていました 落合のほうに向かうと 山形百八地蔵尊霊場  第34番霊場 泉福寺 延命子安地蔵菩薩 
が落合スポーツセンターの南のほうにある このへんはまだ畑が多い 落合から北上した平久保に 神社発見 八幡神社である
ひっそりしている ビッグウイングの西に当たる 山形県立中央病院が見えてきた 道路整備されており車がビュンビュン
10年後ここからの写真には高いビルなど多くなっていると思われます 病院の西側に「南出羽駅」ってのが作られていたんだ 正面大岡山 「南出羽駅」
近くの山も霞んでいます 猛スピ−ドで通過 村杜稲荷神社 羽州街道西側へ
千手堂の少し南の方にあります 千手堂吉祥院遠景 吉祥院は、寺伝によると、聖武天皇の天平9年(737)に、僧行基によって、創建されたと伝え、 本堂の千手堂は、「出羽一仏千手堂」と称されたという。延文元年(1356)斯波兼頼が千手堂を再建し、
天文12年(1543)に最上義守が再建修復し、以後元禄9年(1696)、文政11年(1828)に修理が施されたという。  説明文以下2コマ飛ばしてください 衛守塚古墳の石棺 衛守塚古墳の石棺の説明
発掘自体随分古いんだ
本尊の千手観音立像は、平安時代中期の作で、欅の一木造りで、像高182cmあり、国の重要文化財に指定されている。 また他の一木造りの仏像群も、藤原時代のもので、県・市の有形文化財に指定されている。  この千手堂の建物は、3間3面の宝形造りで、室町末期のものであり、市の有形文化財に指定されているが、 最上三十三観音の第3番札所としても有名で、昭和46年に大修理が行われた。
以上山形市観光協会のHPから引用 千手観世音菩薩 まるで千手が十徳ナイフのように見える千手観世音菩薩 前の写真が逆光なので
菩薩様 さて南下の開始
これはなんでしょう
羽州街道一本西の裏通りになんか学校風 鮭が遡上した高瀬川にかかる橋上から
長町の熊野神社 長町の熊野神社 ムーミンそっくり 千歳駅
千歳駅から西を 沖ノ原の古峰神社 羽州街道が馬見ヶ崎川を越える手前のインター付近 印役までひとっ飛び
 印鑰神明宮の歴史は古く、しかもその名を「いんやく」というのは、 昔、印(印章)と、鑰(かぎ)を御神体として祀った神社で、 その神社の名が、やがて村(町)の名になったと伝えられている。   神明宮は、遠く奈良時代に大野東人(オオノアズマンド)という将軍によって創建されたといわれ、
それを証するように、周囲から、その時代に使われた土師器や須恵器、  それに刀(わらび手刀)なども出土している。  祭典時には、山家田植え踊りも奉納され、祭典時には、山家田植え踊りも奉納され、  また、奥ゆかしい宮司行列は勿論、神輿も町内全域に繰り出され賑やかさを加えている
以上山形市観光協会のHPから引用 和合二丁目
最上坊稲荷神社
の向の瓦屋さん の作品?
東本願寺御影堂の瓦 壁面の石積工事のよう 花の季節じゃ