上山市 思川決闘の場(浄瑠璃坂の仇討)

  

源八郎はまず主馬介を討たんとして赤湯に潜み機会を待った。寛文九年七月、主馬介は家臣二十五名を率いて山形を発ち、藤吾原の思川に差し掛かった。