霊石よなき石

  


六助は花屋と話合って、悲しみのなかで「霊石」の碑を建てて供養した。練兵場の西端に埋められていた霊石を掘り起して町民の守り神として祀るようになったという。石碑には、文禄5年と刻まれているが、慶長元年(1596)と年号が重なり合う。昭和26年発行の山形県伝説集には年号の記録がなかったので歴史的事象より、庶民信仰を評価し、地域の文化を語りついで行きたい。