戊辰戦争 金山の戦い

  


1868/ 07/11
金山付近には仙台藩第六大隊長の梁川播磨を隊長とする仙台兵が本営を置いていた。
山形藩や上山藩兵を右翼に、新庄藩兵を左翼に森合峠に布陣していたが、ここでも新庄藩兵は戦線を離脱し仙台兵を攻撃した。
仙台藩兵の主力部隊は金山中心部まで退却するが、有屋峠からの鹿児島藩兵らにも攻められ、
播磨は現在金山町役場がある十日町付近で負傷してしまう。
その後、三本松へ逃れるものの鹿児島藩兵らに発見され、応戦したが堰に足を取られよろめいた瞬間、斬りつけられて壮絶な最期を遂げた。
梁川播磨を含む仙台兵33人が戦死した。隊長の播磨と副将の五十嵐岱助の首は塩漬けにされ、秋田でさらし首にされた。

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