山形そば黄門漫遊記42
チイット前のこと、山形の近郊の部落にそれはそれは美味しいそばを打つ爺さんがおりました。そばがブームになっても一向に気にするでなく、マイペースマペースでその時その時そばを打っては皆にふるまっておりました。
その親戚や周りの者は「菓子箱持ってこい」と言われるままに、空箱を持って行っては美味しいそばをもらっていました。どれだけの人にあげたのか数えきれなかったそうです。そばがもてはやされ、ブームがピークに達するころ、地元の新聞が取材に来ていろいろ聞いて行きました。やがて新聞の特集に記事が載り、爺さんは大変有名になってしまいました。それでも爺さんはマイペースマイペース、時間が過ぎていきました。
暫く経ったある日、爺さんの甥っ子が町で酒飲みの会合に出ていました。隣の人と話が弾んで、そのうちそばの話になりました。甥っ子さんが”かの部落”の人だと知ったそば好きは、なんとか”かのそば”を食べたくて情報収集に熱がこもります。まして甥っ子と知ったそば好きは”必死”になります。でも、返事は「だめだぁ」でした。
「市長だ食ってる会さでも入ってねぇど、こうゆうそばてくわんないんだずねぇ」
(注:山形には、市長や地元名士なんかが会員になってる”歴史と伝統のある『そばを食う会』”なるものがありまして、一般にはなかなかいただけないそばを食べたりして時々ニュースになり、有名です)
「何とがならねべがねぇ、(なんとかならないでしょうか?)せっかぐコネめっけだんだもの(せっかくあなたというコネを見つけたんだもの)」
「ほだごどゆってもだめだべず(そんなこと言ってもダメですよ)」
「なしてや、(なぜですか)ほだい大変なんだがず(そんなに難しいのですか)」
「んだてすんだんだもは(だって死んでしまったのだもの)」新聞に出て有名になって、結構忙しくなったそうです。それでも折々そばを打って、みんなに振る舞ったり、くれてやったりしていたそうです。
そしてある日、逝ってしまったそうです。
「いやいや、葬式大変だっけ。香典が何百も来て整理すんのも大変だっけず」
「何か偉い役職でもしったけのがっす(なんかなさっていた方だったのですか)」
「んねっだな、そば打っては皆さふるまって喜ばれていたっけから、皆そば代を払ってけだのったなねぇ(生前そばでお金は貰わなかったから、皆そば代を香典にしてくれたのだろうなぁ)」まったく『おもいでポロポロ』ものです。