白鳥十郎長久 血染めの桜・首洗い石鉢

  


 それからたがいに使者の行き来がありましたが、十郎殿はまだ用心深くて、山形城へ来ることはありませんでした。それでまた尾張守と相談をし、義光公から使者を出して、次のように言わせました。「このごろは、私も病気が重くなり、先行きのことが心配でなりません。