白鳥十郎長久 血染めの桜・首洗い石鉢


2018/05/18

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1987年NHK大河ドラマ「独眼龍政宗』において、故原田芳雄演じる最上義光は、悪役、敵役ともいうべき揖な立場に立たされている  出羽国谷地という処に、城取十郎(白鳥十郎)という大名がおりました。義光を討とうと思い、  この事を義光公が聞いて、志村九郎兵衛を使者として、最上の系図と耳白の鷹一居を贈ろうと思い、  そこで義光は、何としても十郎を討ち取ろうと思い、臣下の氏家尾張守と評定し、尾張守から十郎殿へ書状を送らせました。
 十郎殿もそこで、つくづくと思案をし、義光の武勇の誉れを聞くに、なかなかいつまでも敵対関係にあることもかなうまい。 それからたがいに使者の行き来がありましたが、十郎殿はまだ用心深くて、山形城へ来ることはありませんでした。 どうか十郎殿に対面をし、国の掟を頼み、また修理太夫が幼年の間は、家の系図も預かってもらいたい」と。 そして十郎は、時日を移さず山形へやって来て様子を見ると、「屋形の御気色」(義光のご病気)が、殊のほか重いといって、家の子郎党残らず前後に並んでおりました
十郎も、日ごろは用心深かったが、その有様を見て哀れをもよおし涙ぐんでいました。最上の家臣が「御寝所へお早く」と申しましたところ、 「最初の対面を満足におもいます。それにつけても私が亡くなったら、きっと他国から侵略を受けるでしょう。そうなった場合は、万事その方を頼みにしています。また代々の系図も、修理太夫が成人するまでは、預け置きます」  そうしているところを、義光公は座り直すような風をして、床の下に隠しておいた太刀を取り、抜打ちに切りつけたので、さしもの十郎も二つになってたおれ伏しました。(以下略)
 
これを見ると、まことに卑怯なだまし討ちといった気がするが、しかし義光物語の記述は、十郎びいきに書かれている面がないでもない。
それにこの時の血で赤く染まったという”血染めの桜”と移する桜樹を、後続の大名たちはわざわざ城内に残して、義光の悪宣伝の材料にした 義光びいきに書かれた物語の一つに『最上物語』(六冊)がある。これはあまり流布しなかったらしく、翻刻もされていないようであるが、それには白鳥十郎という人物は、たいへん悪い人間であったと青かれている。
 
 同国村山都谷地と申す郷に、白鳥十郎光清とて、弓矢とつての達人あり。然るに光清、元来 放蕩無類にして、おのれが武勇に高慢し、領分の民をしゐたげ、他のなげきをかヘリみず  と、「放蕩無類」な人物であったと記されている。だから斬られても仕方がなかったのだという風に、もっていくわけである。
以上、後藤利雄著 -紙魚(しみ)のつぶやき- 1989/04/10発行 を、ちょっとアレンジ