白鳥十郎長久 血染めの桜・首洗い石鉢

  


 と、「放蕩無類」な人物であったと記されている。だから斬られても仕方がなかったのだという風に、もっていくわけである。
-以下略

以上、後藤利雄著 -紙魚(しみ)のつぶやき- 1989/04/10発行 を、ちょっとアレンジ ・・・後藤利雄の著作権は筆者にあるので問題なし
黄色い文は筆者が勝手に書いたもの

おまけ
2004年村山市立戸沢中学校の木造校舎が、まだあった時、その前に立っている『白鳥長久公顕彰碑』
現在は、更地?・・・多分

その右にあった『白鳥城関係要図』