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爾来(じらい)小康を得たりと雖も、明治四十年の大水に堤防の破壊六百二十一間に及ぶ。依って従来の経験に徴(しる)し、復旧工事の外、特に堤脚保護の為、此の年始めて小段九百二十間を築造し、工費金四万九百八円を要せり。次いて明治四十三年に至り、堤防の破壊五百三十間に及び、市民恐怖の状、実に名状すべからず。堅牢なる堤防の築造は日一日より急なりき。是に於て笹堰及び天神裏より下流、千歳公園裏に至る間の小段千百七十間に対し、工費金七万千八百円を投じ混凝土工事を施工せり。越へて大正二年、八月二十七日の未曽有の暴風雨あり。激流奔騰忽(たちま)ちにして堤防の欠(決)壊百八十一間、破損五百六十間、道路の破壊千七百二十間、民家五百三十戸を浸すか如き大惨状を見るに至れり。本川既往幾多の惨害に鑑みるに、水源諸山の荒廃其の因を為し、出水毎に土砂を流出し、河床に隆起して堤防より高く、而も逐年其の度を加ふるを以て、大いに土砂を浚渫(しゅんせつ)し、流水の疎通を全からしむに非らざれば、堅牢なる堤防も其の効少く、永久害を除く能はざるは専門家及び古老の言の一致する所なり。依って新に防水策を確立し、上天神裏より、下流薬師裏の間に於ける河床千二百間の浚渫を行ひ、其の土砂を利用して、上天神裏を起点とし、下流薬師裏外提の末端に至る内外両提間を埋立て、以って大なる一提と為さんが為め、両堤間の官有地五千二十三坪の無償払下げを得、金六千七百八十七円を以て、民有地一万八千四百五十三坪を買収し、尚危険なる区域の石堤には基礎混凝土及び混凝土練積工事を施し、更に鉄線蛇篭の水制を築造すべく、大正三年八月市直営の下に起工せり。
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