イグアス,アルゼンチン,チリ,サンティアゴ,バルパライソ

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イグアスの滝は大河「ラプラタ河」の本流である「パラナ川」の支流「イグアス川」にあります。イグアス川はブラジル、アルゼンチンの国境となっているのです。 サンパウロからイグアスまではバスの旅でした。 近所の学校にザックを置かせてもらって、滝見物に歩きました。多分他の旅行者(日本人はいなかった)のまねをしてそういうことになったのだと思います。 あたりまえですが人生最大の滝でした。
ここはブラジルトアルゼンチンとの国境、気楽にアルゼンチンに入国しましたが、かの国はあの有名な『汚い戦争』のまっただ中 『汚い戦争』で『死の部隊(コンドル部隊)』は毎日のように、左翼や関係の無い市民まで連行し、人知れず処刑してしまうような恐ろしい日常を繰り返していました。 イグアスを出発しブエノス・アイレスへ着いたのが1977/09/28の夕刻、恒例のホテル探しです。めぼしを付けていたホテル・ビクトリアを訪れました。  「鍵がいっぱいかかっていて部屋は空いてるじゃあないですか、なんで泊めてくれないのですか?」
 って問いただすと、マエストロは一瞬困ったような顔
前ページまでの文章は、2009にその時の世界の出来事と照らし合わせて考えたフィクションであります。しかし、そのように世界は激動していた ブエノスアイレスには3日間くらいいましたが写真これ一枚。ペルー、ボリビアに較べてかなりヨーロッパっぽく、メスティーソの顔立ちの人は見うけられません。 ブエノスアイレスで日本人とめぐり合わず、さびしくなってきて「チリには旅行者が大勢たむろしているよ」と話に聞いていたチリへ向かいます。 バリローチェは『南米のスイス』とも呼ばれるスイスからの移民が拓いた町で、ドイツ移民も多い場所だそうです。
湖は『ナウエル・ウアピ湖』尖塔はカテドラル アルゼンチンでも有数の広大な国立公園で様々な見所があり湖もこんなのがいくつもあるようです。 思い出したのは、北海道の洞爺湖とか摩周湖(行ったっけかな?)地球の裏側に来ても湖は湖でした。 ちがうのは山がまさにアンデスです。「鯛焼きどこから食う?」アルヘンティナ(アルゼンチン人)は「あんです」トルコ人は「あんから」
バリローチェのきれいな、しかし安いホテルへ一泊、10/06AM8:40チリのプエルトモンへバスで出発 パタゴニアの玄関口、プエルト・モンは黄色い花があちこちに咲いており、とても日本っぽい港町でした。 鉄道のそばの鉄道関連と思える建造物も、大変日本っぽい感じ まあ一日で町は適当に歩き、一泊後サンチアゴに向けて鉄道で出発。それでも約10時間以上は車中の人
サンチアゴ着。前もって聞いていた、日本人が宿泊するというホテルへ行って、K君の真似「日本人いませんかーっ?」と呼んでみると、いたいた「は〜い!!」との声。 若者が多かったけど、多くの人が登っていました。時は1977、アジェンデが殺された1973年のチリ・クーデターからまだ4年後で、夜間だけではあるがピノチェトの戒厳令が布かれていた時期 あの有名な南米最高峰アンデス山脈の『アコンカグア』を見たい、麓まででも行ってみたいという気持ちがあり、ロス・アンデスまでバスで来てみました。 アコンカグアの近くにはインカ湖というたいそう美しい湖があり、ポルティージョという有名なスキー場があると『スードアメリカ』に書いてあったので、そこまで行ってみたいと思っていました。
それ以上、アルゼンチン方面への交通機関を探すことが出来ずに、雪のかぶったアコンカグアのずっと手前の山を遠くに見ながら、 アコンカグア川付近をブラブラしています どうもポルティージョなるスキー場は大きいホテルが一軒だけのリゾート地で、大きい町はないような感じなので、当然シーズンオフには、ほとんど観光客など行かないような場所でした。 旅行者消息筋の話として「チリには日本人旅行者がいっぱい住み着いている(長期滞在している)」というのが良く聞こえていました。 バルパライソ港。たまたま世界一美しい帆船と言われていた『エスメラルダ』が停泊しています。右の奥には軍艦 もいます。
チリ海軍練習船エスメラルダ、1946にスペインのカディスで建造が開始。1950年、スペイン政府は、チリ政府に引き渡した のだそうです バルパライソの少し西の海岸にピ−ニャ・デ・マールという高級リゾート地があるというので、行ってみ ました。 バルパラの町には 一段階上の丘に行くためケーブルカーが設置されており、現在もバルパラの観光素材として活躍しているようです。 旅行者は2つに分類でき、筆者のようなスポットの通行人が1番目、お金がなくなるとニューヨークあたりで皿洗いのバイトを半年して、半年はここでゴロゴロする定住民族が2番目。
けっこうぬくぬくと長居してしまったが、このままズルズルとこれ以上滞在してしまうと 、本格的なヒッピーになってしまうと柄にもなく自戒しまして、バルパラよさらば バスにて海岸線を北上、着いたのはチリ最北の町アリカ。国境線が近いだけにホテルも多いようで小奇麗なところにチェックイン。 今なら撮るべきだったと思える街々の風景や人々の表情などが少なく、このような毒にも薬にもならないようなものが多い のであります。 サンパウロの町並み、特にリベルタージ(日本人街)、リオデジャネイロの路地裏、ブエノスアイレスの表情など、なんでもっといっぱい撮らなかったのかと後悔しきり。